2020年 5月 の投稿一覧

留学に行くと、何が変わる?

 

 

よく晴れた昨日、久々に近所の公園に行ってみました。

するとまあ、上半身裸になった裸族の男性たちが

みんな光合成をしておりました。君たち、植物か?という感じです。

 

 

で、広い競技場を兼ねた公園には様々な人達が

様々なことをしていて、人間ウォッチングが面白かった。

 

ボクシングのミットをつけて、スパーリングしていたり、

自転車を真ん中にはさんで、ネット代わりにしてテニスのラリーをしていたり、

サックスを吹く人がいたり。

 

 

そして、気になったのが、バスケゴールで

1人でひたすらシュートする外国人の男の子。

ずっと1人で遊んでる。

 

そこへ兄弟らしき子供が二人合流。一つのゴールで二組別々に遊んでる。

 

ちょっと一言「一緒にあそぼ」と声をかければいいのに、と思った。

 

キャーキャー騒ぐ兄弟たちをよそに、彼もきっと一緒に遊びたいと思うんです。

同じ子供ですから。

 

 

でもこれって、大人もこの一言がなかなか言えないんですよね。

 

「よかったら一緒にどうですか?」

 

という一言。

 

 

私は20代のときに世界中を旅していましたが、

その時に、「一緒にどうですか?」と声をかけてもらった

ある忘れられない出来事があります。

あれから20年たちますが、今でもよく覚えています。

 

 

それまではインドとかトルコとか、人懐っこい人たちのいる国ばかり回ってきて、

それが東ヨーロッパに入った途端、急に都会になって、

誰も声をかけてこなくなった。

 

 

考えてみれば、それが普通なんですよね。

通りすがりの旅行者に声をかけてくるのは、発展途上国の特徴です。

うっとうしい時もありますが、なくなってみると、なんだか寂しい。

 

日常に戻ってきてしまった。

お店に1人で入れば、当然、ひとり。

 

一人旅だったから、誰とも口をきかなくて寂しかった。

 

それはチェコのカフェバーでした。何度か通ってとても美味しい店だったので。

1人でまた訪れました。

 

 

が、お店に入ると「満席」だと断れました。

しかし、カウンターがあいている。

お店の私物がたくさん置いてあってお客さん用じゃないのは

明らかだったけど、

「ご飯食べるだけだから、ここでもいいんだけど」と指さすと、

「いいよ」という感じで肩をすくめて入れてくれた。

 

 

よっこいしょ、とスツールに座って、

手持ち無沙汰で小説を取り出した。

 

すると、背後から、「良かったらこっちに来ない?」

と、女性の声が。

 

振返ると、そこには50代くらいのおばちゃん。

大きな丸テーブルに6人くらい座ってる。

 

いいんですか?という躊躇は一切せずに、

「行きます!ありがとう!」と即答した気がします。

 

とにかく会話に飢えていたし、

アジアを旅していると、「え、、いいんですか?」みたいな

感覚は消え失せていました。

知らない人同士が交流しまくっていたからです。

 

 

テーブルに座っておしゃべりすると、どうやらこの6人は全員赤の他人。

テーブルに相席しているだけ。

おばちゃんはアメリカ人で仕事でチェコに来ているとか。

 

つたない英語で色々おしゃべりしたけど、

1人で寂しかったからすごく嬉しかった。

 

このおばちゃんも、外国人だからこそ、

異国で1人で寂しい気持ちは分かるんだろうな、と今では思う。

 

 

私は自分がこういう経験をしているので、

日本でも、外国人がひとりでテーブルにいると、ものすごく気になる。

 

以前、有楽町の居酒屋で、ツーリストと思われる青年が1人で入ってきた。

テーブル席に通され、日本語が全然できない模様で、身振り手振りで

必死にオーダーしている。

 

私はたしか4人くらいで来ていた気がするけど、

その青年のことが気になりすぎて、うわの空。

 

どうしようかな、声かけてこっちのテーブルに誘っちゃおうかな、

と、ソワソワと考えていました。

行こうか、どうしようか、よし行くぞ!

 

と、意を決したその瞬間、

 

若い女の子が青年へ近づき、声をかけました。

 

青年は嬉しそうにニコニコ応答し、

なんと、自分の生ビールを持って、

女の子たちのテーブルへ合流しました。

 

おお!よくやったぞ、女子!

 

ちょっとイケメンだったので残念だったのと同時に、

若い人同士で楽しそうに笑う青年の笑顔にホッとしました。

 

 

私はですね、日本にきた外国人には、やっぱり

「日本楽しかった」という印象を持って欲しいんです。

 

何を見た、というのよりも、「日本人がすごく親切で良くしてくれた」

という、日本人との交流をもって帰って欲しい。

 

そして、そういう人達が自分の国にいる外国人に、

またそれを返して欲しい。

 

日本にいったけど、誰ともしゃべらなくて、

寂しかった、という思いをして欲しくないんです。

 

そしてきっと、あの外国人に声をかけた女の子は

海外留学経験があるのでは、とも思います。

 

英語に自信があるから、声をかけたのかもしれません。

英語が全然話せない人が、こっちで一緒に飲むか?って

なかなか言えませんよね。

 

 

英語は世界の共通語です。

台湾人でも韓国人でもフランス人でも、

ナニジンであっても、少しの英語ができれば、楽しくおしゃべりできます。

 

そして、こういう時に、「一緒にどうですか?」

と勇気をもって誘えます。

 

オーストラリアでも、私はたくさんの人に誘ってもらいました。

 

 

テニスコートで1人で壁打ちしていたら、

「一緒にどう?」と、見知らぬおばちゃんが声をかけてきた。

 

ふと見ると、おばちゃんの仲間たちも、ニコニコしながら

「うんうん、一緒にダブルスやりましょう」と言ってくれた。

これも嬉しかったなあ。

 

 

ひとりでサーブを打っていたら、

「ラリーやりませんか?」

と、男の子が声をかけてくれました。

 

 

学校視察でクラスに参加したら

学生さんがすすーっと近寄ってきて、「テキストブックないんだよね?

いまこのページやってるんだよ」と

わざわざ教科書をシェアしてくれました。

 

 

1人で海外にいると、こうやって声をかけてもらえることが

心の底から嬉しい。

自分がやってもらったことは、人にも返すようになる。

 

一緒にあそぼ。

 

子供じゃなくても、大人もこれが出来るようになるには、

たくさん同じことを経験するのが大事なんじゃないかな、と思います。

 

今の日本はそれが難しい。

当たり前に誰かに声をかける。

 

そういうのって、オーストラリアには、

まだまだたくさん残っている気がします。

 

 

留学を親に反対されたら?20歳過ぎたら、ただの過干渉

 

こんにちは、桜井です。

久しぶりに野田 俊作の「アドラー心理学を語る」
を読んでいて面白かったのでシェアします。

男女の平等の話で、以下のような記述。

==========

女性が男性と結婚するとき、経済的に安定しているとか、
ずっと将来を見通せるとか、そんなことは全く望まずに生きるべきだと思うんです。

 

 

男の寄生虫になって、幸せになろうなんてことを考えている限り、
男女平等なんてあったもんじゃない。

 

今の男は根性なしですから、女の子を口説くときに
「君を幸せにするからね」なんて言うけれど、
そんなことができるはずがない。

昔の男は女を口説くときに「俺と一緒に苦労しないかい」と言った
これが本当なんです。

 

==============

私なら、「君を幸せにするからね」なんてもし言われたら、
「あ、自分でなるから大丈夫です」となると思う。

 

もし男性がそれを言うなら「君が幸せだと感じてもらえるように努力する」
じゃないかな、と思います。

 

>「俺と一緒に苦労しないかい」

 

こんなオトコ、粋ですよね~。昭和ダンディズム。
まあ、これってダメンズだと思いますが、
断然こっちのほうがカッコいい。

 

「あははは、ヤダ」と笑ってしまいそう。

 

少なくとも、この人に幸せにしてもらおう、では
結婚した時から、横の関係ではなく、
縦の関係になってしまうと書かれています。

それにともなって、対人関係もみんな縦の関係。
親子関係、嫁姑関係。

その結果、絶えず不安になって落ち着かない。

あと、これも面白かった。

結婚相手は自分と相性が良くて、一心同体で、
同じことを考えていられたら幸せになるだろうと思っている。

これは一見正しいように見えるけど、実は支配欲である。

 

相手が自分の思う通りに動けばいいなあ、と思っている。
夫婦の課題は、自分とは違ったモノの見方をし、違った生き方をする人と
どう生きていくか、である。

だから、最初から自分と同じ価値観の人を、と望むと最初に失望する、
と書いてあります。

 

親子関係も同じ。

親と子どもって、全然違う人間なんです。
それを親が、子供は自分のコピーだと思うからややこしい。

 

違う時代に生まれて、まったく違う人と付き合い、
違う趣味を持ち。そんな親と子供が同じ価値観でいられるはずがない。

 

親だから、子供よりも絶対的に正しいなんてありえません。
「私を信じろ」もないです。

価値観の違いに、正しいとか間違っている、という正解はないです

 

余談ですが、
うちの母親とよく「夕飯のおかずなんだった?」という話をします

私は東南アジアっぽい料理が好きで、
実家を出てから、煮物を自分で作ったことはありません。

醤油と砂糖も、持っているけど使わないから全然減らない。
キライじゃないけど、自分で作ろうとは思わない。

それを親にいったら

「そりゃあね、あなたとお母さんは育った時代が違うから」

と、普通に認めました。

 

ですよね。育った時代、とりまく環境が違います。

日本人ならやっぱ煮物でしょ、という必要もないです。
だって、煮物以外のたくさんの選択肢がある中で育ちましたから。

海外に留学したり、就職したり、お嫁に行ったりするのも
別に珍しいことではなくなりました。

こういうことに反対する親って、きっと支配欲が強くて、

どうしてお母さんの言う事聞いてくれないの??

って思っているかもしれません。

でも、親と子供は全く別物です。
親は自分と顔が似ているから、子供のことを分身だと勘違いします

 

そして、何よりも自分が安全だと信じるほうへ誘導します。
子供のうちはそれが必要ですが、20歳すぎたらただの過干渉です

だから、全ての人にあなたを理解してもらわなくてもいいんじゃないかな、と思います。

それを望むのも一つのエゴのような気もします。
みんな違うんだから、「私のことを理解して!」と強要する必要もないです。

行ってみて

「ただいま~、楽しかった」

 

と報告すればいいだけなんじゃないかな。
何よりも、その経験をしてくるのは、親ではなくあなた自身ですから。