「えっ、40代で留学? それって遅くないの?」
そう思われる方もいるかもしれません。でも、今振り返ると、人生のタイミングに“遅い”なんてことはないのだと心から思っています。
もし、これを読んでいるあなたが「今さら英語なんて…」と感じていたとしても、私の経験が少しでも背中を押せたらうれしいです。
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中学・高校の頃から、英語が好きだった
私が英語に興味をもったのが洋楽との出会い。私の世代では、マドンナ、マイケル・ジャクソン、シンディ・ローパー、ロック、ポップ、テクノミュージックにおいて大盛況の時代。
現代はSpotifyでいつでもどこでも音楽が聞けますが、当時はレコード、カセットテープ、CDで音楽を楽しむ時代。必ずレコードやCDに歌詞カードが付いていて、それを眺めながら曲を聞くことを楽しんでました。
とはいえ、学生時代は、英語=試験勉強。私がいた田舎の学校には外国人の英語の先生などおらず、おじいちゃん先生のショボい発音の英語の授業を受けるだけでした。そんな英語の先生に教わりながらイギリスのポップミュージシャン宛に英語で手紙を書いてエアメール!で送ったことを憶えてます。それから数日後、そのミュージシャン本人のサイン入りの返信が届いた時は本当に嬉しくて何度も何度も読み返しました。
そんな経験から、英語は私の得意科目でしたが、正直、文法の授業は苦手でした。それから海外の文化や生活にぼんやりと憧れを抱いていました。
高校を卒業後は特別な留学経験があるわけでもなく、社会に出てからは、ぼんやりと海外への憧れはあったけれど、友人と海外旅行に行くことで満足していました。
社会人として働く中で、英語と出会う
私はアメリカの会社、イギリスの会社で働いた経験があり、英語の書類を目にすることがあり、上司や同僚にはイギリス人や帰国子女、留学経験した人が多く、英語がポンポン行きかう環境でした。英語を流暢に話す同僚を羨ましいと思いつつ、「もっと話せるようになったらいいのになぁ」といつも考えていました。
そんなある日、会社が事業を畳むことになり、突然“失業”という状況になりました。その時に退職金というまとまった資金が手に入ったことから、私は「留学」を意識するようになりました。
当時31歳、留学にはやや遅い年齢だったかもしれませんが、会社が無くなるという、どこかで永遠にあるものと考えていたものが、ある日消えてしまう。確かな将来なんて無いんだなぁ、と思いました。
「今なら、何か新しいことに挑戦できるかもしれない」
時間もある。少しの資金もある。だったら、ずっと心のどこかで思い描いていた“留学”に行ってみよう。そう決意したのです。
初めての留学は33歳
私が33歳の時にアメリカ・マサチューセッツ州にある都市、ボストンに留学をしました。歴史ある街並みと、数々の名門大学が立ち並ぶ学問の町で初めての学生生活を経験しました。語学学校に10か月間通いました。
スタート時の私の英語力は、初級レベル。日本に居る時には、週1回英会話レッスンに通ったり、NHKラジオで勉強してました。でも、初めての一人旅、アメリカの空港ってだだっ広く、そこでの乗り継ぎ、入国審査では本当に心臓が爆発しそうなほど緊張しました。
留学で得たもの
留学で得たものはやはり英語力です。10か月間学ぶことで、私の英語レベルは上級レベルに達しました。そして一人で海外へ行くことができる、もう空港でフライトのトラブルがあっても自分で解決できる、そんなしっかりとした自信が身に付きました。
でも英語の悩みはつきませんでした。
学校のレベルでは、「上級レベル」に達していても、街中や現地の大学生と話をした時に、ネイティブスピーカーが言っていることが全く早すぎで分からない、スラングなのか分からない表現が沢山あり、「私の英語力は本当に上がっているのか?」
そんな悩みももっていましたが、でも留学生活はとても充実していて忘れられないものとなりました。日本に帰国した時は34歳、英語を使った接客業に就きました。
42歳で再び海外へ。今度はオーストラリアへ留学!
アメリカから帰国してしばらくの間は、英語を使う機会も少しはありましたが、時間が経つにつれて自然と遠ざかっていきました。
30代、40代になっても残念ながら結婚する予定もなく、いくつかの職場を転々しながら激務をこなしていました。英語は使わなくなってくると段々さびれてきます。「もう一度、英語をちゃんと勉強し直したい」と思うようになってきました。
そんなとき、私の頭に浮かんだのは、「今度はオーストラリアへ行ってみたい」という気持ちでした。
アメリカ留学は、学生ビザで滞在中は現地で働くことができません。生活費はすべて自己負担。学費も滞在費も食費、保険も…となると、金銭的には宝くじかなにか当たらないと無理!
その点、オーストラリアの学生ビザは、一定の時間内であればアルバイトが可能。もし生活費が足らなければアルバイトができる、そうして私は、42歳のとき、アクティブウーマンを通じてオーストラリア留学を決意しました。
今度の留学は、英語力を取り戻すだけでなく、「働きながら現地で生活すること」にも挑戦する機会となりました。
40代のリアルな学生生活
42歳という年齢での留学。
若い頃のような勢いはなかったけれど、心の中にははっきりとした想いがありました。
「もう一度、英語と向き合いたい」
「今度は、現地の人たちともっと深く関わりながら暮らしてみたい」
私はInforum Educationというオーストラリア・ゴールドコーストにある語学学校に入学しました。学校長の奥さんが日本人であることから、現地で困った時に安心だと思いこの学校を選びました。
学校から徒歩15分程にある住居型の学生寮に滞在しました。5部屋ある一軒家に同じ学校の生徒が滞在していて、私は日本人の女の子と2人部屋に滞在しました。他の学生は皆20代。ワーキングホリデーの学生がほとんどで、金曜日には学生さん同士が集まってお酒を飲んで大騒ぎすることがあり、耐えられず学校に文句を言ったこともあります。
そんなことから、学生寮をでてシェアハウス探しを始めました。何件かシェアハウスの内見をしに行ったのですが、色々見て回るだけで決められず、学校スタッフに「どうしたら見つかるのか?」と相談したところ、丁度学校スタッフのお母さん宅のお部屋が空いていて、「入らない?」と声をかけられました。
もう探すのも面倒になってきてたので、入居を決めました。これが正解。当時の私の母と同じ75歳位のおばあちゃんとの生活はまさに「現地の人と関わりながら暮らすこと」の経験でした。

お世話になった学校スタッフのお母さんのお宅。
スクーターという名前のワンコの散歩は私の日課でした。

ホストマザーは元気!よくドライブに連れて行ってくれました!

仕事はできなかったけれど
オーストラリアは学生ビザでも時間制限がありますがアルバイトができます。私も一度履歴書を作って、郊外の大型ショッピングモールの中のお店に行って、履歴書を渡しに行ってみましたがいいお返事はなく、、
私が通ったInforum Education校は、小規模な語学学校だったので先生やスタッフとの距離がとても近かったです。学校の校長の奥さん、Junさんは一人一人生徒さんのことをよく見ていてくれて、私がバイトもせず帰宅組なのを見ていてある時タスクをくれました。
「英語力初級レベルの日本人の学生さん2人が郊外にある動物保護センターでボランティア体験をするので二人の通訳として同行してくれない?」とか、「学校のウエブサイトの日本語訳を入れたいけど、学校の紹介文を書いてくれない?」という感じで英語を使って他のことに挑戦する機会をくれました。
郊外にある動物保護センターには、2,3回学生さんの同行に行った後、私が住んでいるところからバスでも行ける距離だったので動物ボランティアに挑戦することにしました。地元の人達と一緒に犬、猫、鶏等々、動物の餌やり、清掃など。週末は、地元の人達が保護センターを訪れて犬や猫を見に来ます。
オーストラリアの郊外を走るバスは、手を上げないと絶対に停車しません。動物保護センターがあるエリアは、1時間に何本か走るバスをキャッチしないことには、帰宅が遅れます。
バスの番号を遠くからしっかり確かめて、サッと手を上げる、ということが出来るようになり、なんだったら途中にあるショッピングモールで買い物をして、そこからまた別のバスをひろって家に帰る、といったことも難なくできるようになってました。
一つのきっかけを与えてもらったことから、英語を学校の外で使う経験に繋がりました。
多国籍なクラスメートたちと育んだ絆
40代からの留学は、「年齢」のことも多少気になってました。クラスメートの殆どが20代の若者。留学中であっても、いわゆる会社の職場と同じで年齢は違っても皆目指すところは同じ、「英語の上達」であるので一緒に学んでいると年の差は気にならなくなってきました。
私の学校には、日本、台湾、韓国、ブラジル、コロンビア、チェコ、ハンガリー、世界中からの学生が学びに来ていました。クラスメートは毎日顔を合わせて一緒に勉強しているので、一番仲良くなれます。
チェコ人の女の子から「ねぇ、シネマに行かない?」とか、オーストラリアフェア(と呼ばれるショッピングセンター)にモスバーガーショップが出来たけど、一緒に行かない?と色々とお誘いがあります。町中で待ち合わせをする時に、日本人の私が遅れると「Hey!日本人なのに遅いわよ!」と笑われたり、一番遅くやって来るブラジル人には「やっぱりね、遅刻の王者」とからかったり、英語でそんな会話をしている時がとても楽しかったです。
週末旅行にも一緒に参加したことも今では一番の思い出です。ゴールドコーストのずっと北にある、フレーザー島へ一泊旅行、スプリングブルック国立公園、ホエールウォッチング、学校の遠足はどれも楽しい思い出になりました。

フレーザー島での一コマ、オーストラリア人はクレイジー!

「学びたい」と思う気持ちは、いつでも始められる
オーストラリアで過ごした約半年間は、20代や30代のようにキラキラはじけるような体験はできませんでしたが、本当に充実していました。私は30代の時に一度アメリカで長期留学を経験しましたが、オーストラリアでは英語を使って実生活を送ることができたのがとても良かったと思います。
確かに30代の頃と比べて覚えること、理解することに時間が掛かりました。でも留学中は自由時間も沢山あるので、何歳であっても、「学びたい」「やってみたい」という気持ちがあればマイペースで学んでいくことができます。英語を話したい!と思った時が自分にとっての最良のスタート地点なのだと思います。

留学を終えて
学校では毎週金曜日に卒業式を行います。校長のサイモンから一人一人卒業証書が手渡されます。卒業生はスピーチもします。先生やスタッフにお礼を伝えたり、クラスメートには冗談めいたことを言って和やかな卒業式です。
私は、卒業した後アクティブウーマンにスタッフとして就職することになりました。学校とのやり取りに英語を使ったり、出張時にも英語を使います。でも英語は学校で学んだから完結、ではなくその先もずっと学ぶことは続きます。日本語でも知らない言葉やどんどん出てくる新しい言葉があるように、英語も同じです。結局は英語を学び始めるのに年齢は関係なく、いかに継続するかが本当に大事なんだと思います。
Inforum Educationで出会った友人たちとは、SNSでつながっています。仲が良かったチェコ人の友人が日本を訪れたことがあり、その時は数年ぶりに再会を楽しみました。
このように、42歳でのオーストラリア留学体験を通して、「人生は何度でも方向を変えていい」と私は心から感じました。
「もう年だから留学なんて」と思っている方も、是非挑戦してほしいと思います。たった1週間のトライアルでもいいので思い切って「海外で学生になる」体験をしてほしいと思います。
大切なのは、自分の「やりたい」という気持ちを信じること。
もしその気持ちが、今、あなたの中にあるのなら、ぜひ一歩を踏み出してみてください。

