シニア留学!70代で叶えたオーストラリア留学

「いつか海外で暮らしてみたい」「もう一度英語を学びたい」と思ったことはありませんか?

でも、年齢を理由にその夢を諦めてしまった方も、きっと少なくないでしょう。Aさんは、そんな夢を70代になってから叶えることができました。

年を重ね、「まだやりたいことがある」と思っている方へ、語学が苦手でも、海外に慣れていなくても大丈夫。年齢を重ねたからこそ見える景色や、人との出会いがありますよ。

■ 留学を決めたきっかけ

Aさんにはオーストラリアのクィーンズランド州・サンシャイン・コーストにお住まいのお嬢さんがいらっしゃいます。オーストラリア人の娘婿、そしてお孫さんと英語で会話をしたい!

サンシャインコーストはこじんまりとしたローカルタウン。語学学校は市内に一校だけ、Lexis Englishがあります。お嬢さんのご自宅からバスを使って通えることができることから頑張って1か月間通うことにしました。

最初は、ほんの少しだけ学校に通うことを考えていらっしゃったのですが、「アクティブウーマンさんに相談しているうちに、4週間以上、行けるかもしれない?」「いえ、行ってみたい!」という気持ちに変わったそうです。

■ 留学直前の不安と準備

出発前は、正直に言って不安でいっぱいでした。

早めに留学の手続きを進めていたものの、「本当に私にできるのかしら?」という気持ちが日に日に強くなっていきました。特に、英語も苦手、飛行機の長旅も久しぶり、そして入国時の税関審査など、初めてのことばかりです。

私は持病の薬を持っていく必要があったので、すべてに英語での説明書をつけ、準備は万全にしました。それでも、「何か聞かれたらどうしよう」「うまく答えられなかったら……」と不安でした。

でも、実際には、オーストラリアの入国審査もとてもスムーズでした。

税関で薬について聞かれたときも、きちんと書類を提示したら、係官は中身を見ることもなく通してくれました。「正直に書いて、誠実に答える」ことの大切さを、改めて実感した瞬間でした。

■ 初めての登校と通学の様子

無事に娘の家に着き、翌週から語学学校が始まりました。学校へは、徒歩とバスを使って片道約1時間ほどかけて通います。

オーストラリアのバスは、日本と違って「手を挙げて」バスを止めるんです。最初は戸惑いましたが、慣れてしまえば簡単。日本でいうSuicaのような「Goカード」という交通カードで、乗車時と降車時にタッチするだけ。思っていたよりずっとスムーズに通学できました。

そして何よりも感動したのは、バスの中での“挨拶”文化!

運転手さんに「Good morning!」と声をかけると、必ず笑顔で返してくれます。すれ違う人とも「Good morning」と言い合う習慣に、とてもあたたかい気持ちになりました。

「日本人は、普段の挨拶が少ないかもしれないな」と、ちょっと反省したくらいです。

■ 学校の雰囲気と授業について

Aさんが通ったレクシスイングリッシュ校では、クラスの人数は14〜15名ほど。国籍もさまざまで、ブラジル、コロンビア、トルコ、そして日本からは私を含めて2名だけでした。

授業は、すべて英語です。

最初はびっくりしましたが、先生がとても優しく、ゆっくり話しかけてくれるので、何となくでも理解できます。教科書は、世界的に有名な「CAMBRIDGE」のテキスト。私はビギナーですので、A1という最初のレベルからスタートしました。

授業では、ペアを組んで会話の練習をしたり、ロールプレイングをしたり。最初は戸惑いましたが、少しずつ授業の流れにも慣れていきました。

クラスの雰囲気はとても陽気で、特に南米の学生たちは明るくて元気。時にはちょっと脱線してしまうこともありますが、先生は辛抱強く対応してくれます。担当の先生は、学校でも1、2を争うほど人気のある先生なんだそうです。

授業風景はこんな感じ

■ 学校生活とクラスメイトとの出会い

学校の授業は、毎日朝8時半から始まり、午前中に2コマの授業があります。10時半から15分間の休憩をはさんで、12時45分までしっかり学びます。学校にはいくつかの教室があり、私のクラスは5階でした。休憩時間には、6階の共用ラウンジへ。

ここには冷蔵庫や電子レンジなどが完備されていて、お茶を飲んだり、おやつをつまんだり、皆が自由に過ごせる空間です。

このラウンジから見える景色がまた素晴らしくて、私は自分のスマホで写真を撮りました。その風景は学校のパンフレットにも載っているほどの美しさで、学びながら癒される、そんな贅沢な時間が流れていました。

Lexisサンシャインコーストキャンパスからの眺め

■ 言葉を越えた交流が生まれた日

初めての登校日。教室に入った時は、知っている人は誰もいません。年齢の差もあり、緊張で胸がいっぱいでした。

でも、1週目の終わり頃、ちょうど心が折れそうになっていた日本の若い女の子に、思い切って声をかけてみました。するとその日から、まるで孫のようなその女の子とすぐに仲良くなり、学校生活が一気に楽しくなりました。

2週目には、ブラジルから家族で移住してきたお母さんとも知り合いました。彼女にはお子さんが2人いて、ちょうど私の孫と同じくらいの年齢。お互いに共通点が多く、自然と仲良くなっていきました。

この二人の存在が、私の留学生活を明るく支えてくれました。クラスではもちろん英語で会話をしますが、言葉が通じにくくても、気持ちは伝わります。そして何より、年齢や国籍を越えて、心が通じ合う瞬間があることに驚きました。

■ 思い出に残る卒業式の日

4週間の授業が終わる金曜日、午前中の授業の後に、クラスの皆とさよならの時間がやってきました。

突然、ブラジルのお母さんが、花束とビールをプレゼントしてくれたのです。実は、授業中の「What do you like?(あなたの好きなものは?)」という質問に、「I like beer.」と答えたことを、彼女が覚えていてくれたんです。

その優しさに、私は思わず涙が止まりませんでした。

クラスメイトたちも、次々に私をハグしてくれて……今までの人生で、こんな風に花束をもらったことはありませんでした。私のつたない英語を、一生懸命聞いてくれた彼らは、きっと自分たちの母や祖母の姿を重ねてくれていたのかもしれません。

■ 人前でスピーチ…まさかの挑戦!

卒業セレモニーでは、クラスごとに前に出て、担任の先生が一人ひとりにコメントをしてくれました。

そして、なんとその場で私に「スピーチをお願いします」と言われたのです!

一瞬、「えっ、無理!」と思いましたが、皆の笑顔と温かい空気に後押しされて、私は前に立ちました。

「この年齢で勉強するなんて遅すぎると思う人もいるかもしれません。でも、学びたい気持ちに年齢は関係ありません。私は、残りの人生をより豊かにしたいと思って、この場所に来ました。」

そんな想いをつたない英語で一生懸命伝えました。

スピーチの後、「あなたの言葉に勇気をもらいました」と声をかけてくれた日本人男性もいて、また新しい友達ができました。

■ 留学を通して得たもの

この留学を通じて、私は失ったものは一つもありませんでした。むしろ、得たものは数え切れないほどです。

年齢に関係なく、夢を追いかけていい。知らない土地で、初めての人たちと関わることで、新しい自分と出会える。そんな喜びを、この年になって初めて実感しました。

最初は、不安や緊張でいっぱいでした。でも、飛び込んでみれば、「やって良かった!」という気持ちしかありません。

■ 留学後の日々と若者たちとの出会い

語学学校を卒業したあとも、オーストラリアでの生活は続きました。今は、娘の家で孫の世話をしながら過ごしていますが、そんな毎日も、また新たな出会いに満ちていました。

語学学校で仲良くなった日本の若者たち、そして市内にある市場で偶然出会った日本人のカップルと一緒に、娘宅でランチ会を開きました。小さな和食パーティーですが、私にとってはとても大切な時間でした。

彼らの中には、ワーキングホリデーで来ている人もいて、「これから仕事を探さなきゃ」と心配そうな様子。でも、その表情の裏には、“やってみたい”という強い気持ちがありまし

4ヶ月間、語学学校を卒業してからの仕事探しを、どうするか心配な彼ら達と、既にワーホリの先輩として市場で働いているカップルの方達と、話がつきないようで。

例えば、サンシャイン・コーストでの暮らしは、シドニー、メルボルンブリスベンと比べてのんびりしていて、住み易く、物価も、今までの都市に比べて全然安いそうです。

 仕事探しのゲットの仕方とコツにはもう慣れたけど、突然の解雇に驚いたりと、話しに花が咲き、あっという間に夕飯時になってしまいました。

先輩のお二方の計画性がしっかりしとしていて、住む為には、仕事が優先なので、仕事の為に住む場所を(突然の解雇により)、転々とせざるを得なかったとか、気候的にも良くても生活として成り立つかどうかを、吟味して行動をしている、とのお二人の意見は中々生活を実際にしている方達の率直な意見としてかなり役に立ったようでした。

1年半で色々な経験をされたようです。日本の青年達のけなげさと真剣さを垣間見ました。やはり、物価が高いのが、ネックのようです。家賃、車代のやりくりが、大事だとの亊でした。

特に、車は必需品だそうです。何故かと言うと、時給の良い場所は観光地、そこで稼いで、家賃の安い田舎は、住む為のみと割り切っているので、車が、有れば何処にでも行って、仕事が選べるそうです。

ガソリン代が掛かってもその方が得策との亊(成る程、生きる為の知恵)田舎だと、休みはどこも出ないので、お金を使わない=なので貯蓄が、出来る。と言うことのようです。車を安く買ってまで住む為のノウハウは、流石だと思いました。

■ 若者たちから学んだこと

彼らと話していると、私も若い頃の自分を思い出しました。

実は、昔『ウエストサイド物語』の映画を観て、8回も映画館に通ったほど。ニューヨークに行きたくてたまりませんでした。でも、母から「アメリカは危険」と猛反対されて、泣く泣く夢を諦めたんです。

その後、結婚して子どもが生まれ、今度は娘が「海外で学びたい」と言い出しました。娘はサンフランシスコの大学に進み、今はオーストラリア人のご主人とサンシャイン・コーストで暮らしています。

こうして人生を振り返ると、自分の夢を娘が叶えてくれたような気がします。そして、今度は私が、「75歳の私自身」として、夢に向かって一歩を踏み出す番だったのです。

■ 「いつ行くの?今でしょ!」という後押し

実は、今回の留学を決める際には、いくつかの留学エージェントに相談に行きました。その中で、アクティブウーマンさんと出会いました。

偶然にも娘がAustraliaの方と結婚したので、今回は、良いチャンスと思い、この年(75才)で、無謀にも、だけれど野望は捨てきれず、今回、桜井さんのメルマガでの言葉を借りれば、「いつ行くの?今でしょ」の言葉通り、決心しました。

今回は土屋さんとお話しをさせて頂き、感じ良く応対して頂き、 「年齢なんて関係ないですよ。学びたいと思った時が一番のタイミングです、大丈夫ですよ」と、心強いメッセージも頂き感謝でございます。

■ 留学は、若者だけのものではない

私のように、もう子育ても終えて、時間にも少し余裕ができた世代こそ、「自分のための時間」を持っていいと思います。

海外で語学を学ぶなんて、若い人がすること――そう思っていた過去の自分に、今なら優しく言ってあげられます。

「やってみようよ。きっと、新しい世界が待ってるよ」

現地では、若い人たちともたくさん話しました。彼らは、時に不安で、時に迷いながらも、自分の力で道を切り拓こうとしています。その姿に、私もたくさんの刺激と勇気をもらいました。

■ サンシャイン・コーストの暮らしと人の温かさ

サンシャイン・コーストの暮らしは、とにかく穏やかです。朝晩は涼しく、日中はカラッと晴れていて、とても過ごしやすい気候です。

スーパーに行けば、見知らぬ人とも「Hello」と挨拶を交わし、バスに乗れば運転手さんとも笑顔で「Good morning!」と声をかけ合います。

こんなに気持ちのいい挨拶が、日常の中に溶け込んでいる国。きっとそれだけ、人と人とのつながりを大切にしているのだと感じました。

私は、通学時に何度も「Good morning!」を言いました。そして、その言葉だけで、自然と笑顔になれることも知りました。

■ 挑戦したからこそ、見えた世界

あの時、勇気を出して留学を決めていなかったら、私は今も、「やりたかったなぁ……」と後悔の中にいたかもしれません。

でも、今は違います。

たとえ英語がうまく話せなくても、何歳であっても、「やりたい」と思ったことに挑戦することが、どれだけ自分を輝かせてくれるかを、私は身をもって知ることができました。

■ 留学を通じて感じた「生きる力」

振り返れば、たった4週間の留学生活でしたが、私にとっては人生の中でも特別な時間でした。

初めての海外一人旅。英語しか通じない教室。若者ばかりのクラスメイト。通学、買い物、そして日常のすべてが新しいチャレンジでした。

けれどもその一つひとつが、「私にもできた!」という自信になり、「人生はいつからでも変えられる」という実感になりました。

年齢を理由に諦めかけていた夢に、もう一度手を伸ばせたこと。それは、自分にとってかけがえのない“生きる力”になったのです。

■ これからの私の目標

今、オーストラリアでの生活は続いています。あと1ヶ月半は、娘の家で孫のお世話をしながら、英語の勉強も続ける予定です。

帰国後も、せっかく身につき始めた英語を忘れないように、オンライン英会話や英語日記を続けたいと考えています。そして、また機会があれば、今度は別の国や地域でも「シニア留学」を体験してみたい、そんな思いもふくらんでいます。

英語力そのものよりも、「心を開いて話す力」や、「人とつながる勇気」のほうが、これからの人生には大切だと感じました。

もしかすると、今このブログを読んでくださっている方の中には、こう思っている方がいるかもしれません。

「やってみたいけど、自信がない」

「英語が苦手で無理かも」

「もう歳だし、今さら勉強なんて…」

その気持ち、よくわかります。私も、そう思っていました。

でも、勇気を出して一歩踏み出してみたら、そこには想像以上の「出会い」と「喜び」が待っていました。

私は75歳です。

そんな私でも、こうして海外で学び、仲間と笑い合い、別れの日には涙を流し、「来てよかった」と心から言えたのです。

■ アクティブウーマンさんとの出会い

留学を決めるとき、私は5つのエージェントを訪ねました。その中でアクティブウーマンさんに決めたのは、「心の距離が近かった」からです。

土屋さんをはじめ、スタッフの皆さんが親身になって話を聞いてくれ、「大丈夫ですよ。学びたいという気持ちがあれば、それだけで立派なスタートです」と、優しく背中を押してくれました。

Zoomの説明会にも参加しましたが、そこでも他の留学希望者さんたちと楽しくお話しでき、とても参考になりました。

留学の手配だけでなく、精神的なサポートもしてくださったことに、心から感謝しています。

■ 最後に:いつかではなく、「今この時」が大切

「いつか行けたらいいな」「余裕ができたら考えよう」と、私たちはつい、先延ばしにしてしまいがちです。

でも、本当にやりたいことなら、「今」こそがそのタイミングなのかもしれません。

年齢はただの数字。 やってみたいと思う気持ちに、年齢制限はありません。

人生は、まだまだ続いていきます。

そして、これからが「自分のための時間」だと、私は思っています。

オーストラリア・サンシャインコーストでの短期留学。

それは「ただの旅行」でも「英語の勉強」でもありませんでした。

人生の第2章を、自分の足で歩き出すための、かけがえのない冒険だったのです。

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